2つのカンパネラ ~フジコ・ヘミングと辻井伸行~ その3

3、閉ざされた世界で育まれた辻井さんの音楽性「豊かなアーティキュレーション」

名演奏家の音楽性はどう熟成されたかを考えてきましたが、辻井伸行さんの場合はどうでしょうか。

①辻井さんの人生と音・音楽

彼は聴覚の世界で生きてきました。音楽はその中で育まれたものですが、それだけではありません。彼の中にあるたくましさや、他の演奏家に比べてより多く所持している心の余裕・遊び心などについてみていきましょう。

こんなエピソードがあります。
まず、辻井さんを発見して育てた川上昌裕氏が、まだまだ未熟な彼のリサイタルの連続の日々に付き合う中で、「怒涛のスケジュール」をこなしていきながら本番によって鍛えあげられていく姿を見ていました。
厳しい課題を提示しても「できる」と叫んでクリアしていく。皆にびっくりされたい、難しいほど燃える楽観主義とポジティブ思考です。

また、コンサート本番を控えた楽屋で次のコンサートの曲目を弾いてみたり、マネージャーにクイズを出すなどの遊び心があり、怒涛のスケジュールも苦にせず、むしろポジティブに乗り越えていく精神力があります。
私はここに、音楽に対する彼の「遊び心」を感じるのです。

ではその「遊び心」はどう育まれたのでしょうか。

辻井さんは生後8ヶ月でショパンコンクール優勝者のスタニスラフ・ブーニンの弾く英雄ポロネーズを聴き分け、おもちゃのピアノを使って2才3ヶ月でジングルベルを弾き、5才にして旅先のショッピングモールで"渚のアデリーヌ"を突然のリサイタルで弾いて万雷の拍手を浴びました。聴衆に応える喜びを知った少年なのです。

②練習の鬼も「遊び」には勝てない

彼の演奏にある素晴らしさは、実に細やかなアーティキュレーション(※)です。
ラ・カンパネラは彼の鋭いピアノのタッチや打鍵が聴きどころですが、演奏が長く愛好されるキーは多様な表現力にあると言えます。

※「アーティキュレーション」とは、音楽や発声において、音の区切り方やつながり方、音の表情を指す言葉で、音楽音符の長短や強弱、音と音のつなぎ方などによって旋律を区分し、フレーズに表情をつけることを意味します(Wikipediaより)

ショパン、ベートーヴェンをしっかりしたタッチで弾く一方で、微妙なニュアンスの表現が求められる印象派の演奏は辻井さんならではのものがあります。ドビュッシーの「月の光」などを聴いてみてください。とかく一本調子になりやすい曲ですが、音を微妙に揺らしてテンポで強弱をつけています。
これこそ、出生後ピアノと共に生きてきた彼に備わった「音の美を楽しむ遊びの感覚」です。訪れるホールの響きやルームアコースティックなど彼の音への感覚は鋭く、常人にはない打音とアコースティックの関係が美の実現となって私たちには聴こえるのです。

4.まとめとして

ここまで大演奏家はどう出現するかについて考えてきました。

とあるクラシック音楽好きの方にフジコ・ヘミングさんの演奏について聞いたのですが、意外な答えが返ってきて苦笑してしまいました。
彼によれば、彼女の演奏は"居直り"とのこと。
確かに、言い得て妙であると思いました。前回モラトリアムについて書きましたが、モラトリアムを経験して社会参加に復帰するメンタリティーとは次のようなものです。

・自己理解、アイデンティティの確立
・変化を恐れない柔軟な姿勢

ショパン国際ピアノコンクールの評価にも、

・作品の理解と独自の表現力

という項目がありますが、私達が求める大演奏家への期待は独自性のある演奏、独自の解釈です。

いま、音楽家の高い音楽性について書き終えて、私の考える大演奏家をあげてみましょう。

・自信たっぷりにピアノ音楽の世界を楽しませてくれるアルトゥール・ルビンシュタインのショパン、ベートーヴェン。
・氷上を滑るように、軽やかで滑らかなウラディミール・ホロビッツのショパン、モーツァルト。
・今でもよく聴くスヴャトスラフ・リヒテルのバッハの平均律は、音の粒立ちを真珠のネックレスのように揃えていて、これからも幾度となく聴くことでしょう。

これらの名演奏家は、時代が変わっても決して忘れられることなく聴かれるでしょう。
フジコ・ヘミングさんや辻井伸行さんも、彼らの演奏と共に私の記憶に残り続けると思います。

萩原光男