2つのカンパネラ ~フジコ・ヘミングと辻井伸行~ その2

前回に引き続き、演奏家について触れていきましょう。

2、今まで日本人には出せなかった2つの音の生まれた背景

①優れた演奏家になるために必要な熟成期間・休養期間、言わばモラトリアム

モラトリアムとは発達心理学者のエリクソンが提唱した概念で、青年期にアイデンティティを確立するための猶予期間のことです。
引きこもりや就学、就労、公友などの社会的参加を避ける状況のことを指します。引きこもりまでいかなくても学齢期や学生生活、その後の人生において在籍するだけで社会的参加を拒否した生活はモラトリアムと言ってもいいと思います。

音楽家において、社会参加を避けたこの時間は音楽を芸術的高みに引き上げるため重要な期間です。

ショパン国際ピアノコンクールなどの上位入賞でジャーナリズムにもてはやされても、何年かすると忘れられてしまう演奏家は少なくありません。
コンクールは入学試験に合格したようなものであり、受賞後の人生を約束するものではありません。賢明な演奏家はそこで休養期間を置き、もう一度自身の音楽を磨きなおし再出発します。

こんな例があります。

ルーマニア出身のピアニスト、ラドゥ・ルプは1966年にヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに優勝すると、コンクール優勝者に副賞として用意されていた2年間の世界コンサートツアーを断ってソ連に帰り、引きこもります。充電期間を経た1969年11月、リサイタルでロンドン・デビューを成功させたのを機にイギリスを本拠に国際的な演奏活動を行うのです。
その時の地元紙では「千人に一人のリリシスト(抒情詩人とでも言いましょうか)」と呼ばれ、以降、ルプを形容する表現として使われています。引きこもりの充電期間が彼を大演奏家にしたのです。

もう一つは、既に鬼籍におられるマウリツィオ・ポリーニです。彼も、生涯において何回かの活動休止と言う充電期間を挟みながら活動したことは知られています。

②フジコ・ヘミングさんにおける熟成期間

フジコ・ヘミングさんの場合、経済的に厳しい不遇の時代が長く、それを熟成期間と言ってしまうのはあまりに酷です。しかし、その時間的推移の中でアイデンティティを確認し、育み、私たちに大きな感動をもたらしてくれる演奏家になったのです。

彼女の人生をもう一度、振り返っておきましょう。
4才からレオニード・クロイツアに師事した母に手ほどきをうけ、10才から東京芸術大学時代を含め、日本でそのクロイツアの薫陶を受けます。その後、いくつかの国内コンクールで高い評価を得たこともあり国立ベルリン音楽大学で学びますが、カラヤンに演奏を聴いてもらうチャンスがありながらも急病で逃してしまいます。

結局、評価されるのは1999年にNHKのドキュメント番組「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映されるのを待つこととなります。番組は大きな反響を呼び、フジコブームが起こりました。

母がピアニストでも、母子家庭では経済的に難しいものがあったことは想像できます。しかしながら、NHKの番組に登場する60歳後半まで世界に見出されなかった不遇の時代は、彼女の音楽性の向上のためには大きな意味があったと言えるでしょう。

③日本国内の演奏家事情

ところで、日本国内で国際的・芸術的に高いレベルに到達する演奏家が生まれにくい状況について考えてみましょう。

これは国際的にも言えることですが、ピアニストの世界では多くの演奏家が国際ショパンピアノコンクールなどを目指します。こうしたコンクール主導の演奏家育成には正確さや安定した演奏が求められ、独自の芸術的表現はなかなか生まれません。

ショパン国際ピアノコンクールの評価基準をみてみると、

・ショパンの作品への理解、技術的に正確な演奏、音程、リズム、テンポ、楽譜への忠実性
・独自の音楽性、再び聴きたいと思う演奏ができているか
・音楽としての完成度

となっていますが、どうしても技術的な正確性は優先されてしまいます。
フジコ・ヘミングさんも言っていましたが、技術的な正確性が優先される時代が長かったため、彼女の演奏が評価されることはなかなかありませんでした。

独自の音楽性や芸術的高さが熟成されるには時間がかります。コンクールでの評価は入り口であって、音楽性の熟成はそれからの問題と言われています。

日本国内にいるショパン国際ピアノコンクール高位入賞者が、入賞をきっかけに社会的クリエイターとしての活動に大きな比重がいってしまうのは残念なことです。
一方、日本を離れロンドンで暮らしながら、ピアノ音楽の高みに挑んでいる内田光子さんのような演奏家もいます。

萩原光男