音環境を理解するための10章 その9

共感覚②松尾芭蕉と共感覚~

前回に続いて、色で音を感じるなどの世界、共感覚について話していきます。

「共感覚」の著者ジョン・ハリソンはこの本の中で、共感覚者として、色で音を、音で色を感じる色聴者に、作曲家のスクリャーピン、フランスの作曲家メシアン、抽象画画家のワシリー・カンディンスキーを挙げています。
彼等は共感覚者と特定されたわけではなく、彼等の作品などについて書いたコメントなどから、一部の人は共感覚を自覚していたのだとジョン・ハリソンは類推しています。

その中に日本人、松尾芭蕉もいます。
芭蕉も実際に共感覚者とされているわけではなく、「聴覚刺激や視覚刺激が瞬時に視覚・聴覚の共感的知覚を呼びおこす性格を個人が所有している」ことを論拠にしています。
実際に共感覚者とは定義できないがメタファーをつかって表現活動をしていた、ことに意味があります(メタファーの語は、心理学や哲学の分野では、精神分析の考え方に基づき、「行動や夢のイメージの置き換え」と訳すことができます)。

そうです、芭蕉は共感覚者とは定義できないが共感覚的感覚を持つ人、「自然への強い共感覚的知覚の持ち主」とジョン・ハリソンは言っているのです。そしてそれは日本人全体が共感覚的感性を持つ民族と定義できる、と私はその大きな意味を伝えようと思っています。
これについてはまた次回のテーマとするとして、今回は芭蕉の共感覚的な俳句の世界を味わっていきましょう。

鐘消えて 花の香は撞く夕哉
(消えてゆく鐘の音の振動が花の香と溶け合い、さらに夕暮れの薄闇の混じり合う)

有難や 雪をかおらす 南谷
(なんとありがたい、南谷には雪が残り、香らせている)

これらの俳句は、大自然を目にして聴覚・視覚刺激が「瞬時に」、視覚・聴覚的知覚を呼び起こした結果の詩句です。
日本人は特に色聴とは言及しませんが、欧米人には特異な感覚として映るようです。

萩原光男