音はどう記憶されるか その3

今回の音楽 システィーナ礼拝堂の秘曲「ミゼレーレ」作曲アレグリ

各メディア媒体にて、ぜひ聞いてみてください。

今回は、音の記憶その1で触れた「モーツァルトはシスティーナ礼拝堂の秘曲をどう暗譜したか?」についてです。

モーツァルトがバチカンのシスティーナ礼拝堂の門外不出の秘曲、ミゼレーレを一回で暗譜した逸話は有名です(秘曲ミゼレーレについては下記解説を参照)。
モーツァルトは音楽の先進国であるイタリアを何回か訪れて学んでいます。暗譜したのは1770年4月、14才のときです。

(1)視覚情報も重要な音の記憶

彼はどのように暗譜したのでしょう。メロディーを丹念に覚えたのでしょうか。
「メロディーを覚える」ことに関して彼なりの方法はあったと思いますが、筆者が推測するのはパターン化して覚えたのではないか、ということです。
システィーナ礼拝堂の音環境やその心地良さなど雰囲気も心で味わい、更に礼拝堂の大まかな建築的構造を把握し響きとともに音楽を記憶したのではないでしょうか(前回のエッセイもご覧ください)。

恐らくモーツァルトの年齢も関係したでしょう。幼年期・少年期は吸収する力が高いので、意味が分からなくても曲を暗譜することができます。

当時少年期に達していたモーツァルトはすでに各地の宮殿や教会を訪れており、音楽的にも音響的にも豊かな体験を蓄積していたはずです。その蓄積を基本に曲と音環境をセットでパターン化し、イメージとして記憶したのではないか、というのが筆者の理解です。

秘曲ミゼレーレは9声部の曲ですが、モーツァルトは複雑な秘曲全体をイメージとして心に染み渡らせたのではないでしょうか。後に写譜するときは、そのイメージを一つ一つ紐解いていった……これが、モーツァルトの暗譜の手法だと考えています。

モーツァルトのレベルで私事を語るのは恐縮ですが、私は機器やコンサートホールの音を記憶する際に、写真や映像を心に残すかのようにその時の心情的印象とともにパターンで覚えるようにしています。
後から思い出すときはその音のパターンを掘り起こすわけですが、視覚情報、ホールや部屋の壁面、内装材で決まる音の空気感、どう感動したかが意外と重要になってきます。

肝心なのは、どんな気持ちで聞いたかを記憶することです。それによって高音から低音まで、ボーカルや弦の音色を思い出せるのです。

(2)カメラアイについて

記憶に関して、電話帳を一瞬のうちに覚えてしまうといったようなカメラアイという能力を持つ人がいます。これはサヴァン症候群と言います。カメラアイの持ち主は、一度見た電話帳を後日思い出すときに、頭脳に記憶された画像を一つ一つ読みとることができるといいます。

秘極ミゼレーレを暗譜したモーツァルトには、このサヴァン症候群に似た能力があったのでしょうか。
(サヴァン症候群は、興味のある分野において特殊な能力を発揮しますが、反面日常生活では精神病理としてネガティブな面もあります。人間が特異な高度な能力を持つ例として取り上げました)

ところで、このように感覚情報をパターン認識で記憶する能力ですが、日頃から自分の感受性を高める努力が必要です。
「努力する」こととは少し違うかもしれません。自分の心がどう感じているかを認識すること、努力よりも感覚の世界に自分の心を遊ばせる、楽しませる、といった言い方が合っているように思います。
どのようにおいしいか、舌触り、香り、心がどのように喜んでいるかなど、快感に遊ぶことです。味覚や色彩感覚の快感もありますが、触覚など肉体的快感さえも重要だと思います。

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『解説①』 システィーナ礼拝堂の秘曲「ミゼレーレ」
バロック初期の作曲家アレグリAllegri(1582〜1652)の合唱曲。
「9声部で門外不出、ここ以外で歌ってはいけない」と言われていました。

『解説②』 システィーナ礼拝堂
バチカンにある礼拝堂で1480年に完成しました。内装には、ミケランジェロ、ボッティチェリなど盛期ルネサンスを代表する芸術家が有名な装飾絵画を描いています。

萩原光男