元JVCケンウッド音質マイスター 萩原光男 が行く「世界音紀行♪」 第最終章

萩原光男さんが行く「世界音紀行♪」途中フェルトーンの解説なども間に入りましたが、今回が最後となります。

皆さんは旅行に行くにあたり、自分のスタイルやこだわりといったものはお持ちでしょうか?

旅行記の終わりにあたって、私の旅のスタイルをご紹介しましょう。

まず旅に出る時は、なるべく厚めの本を一冊持って行きます。

ほとんどの場合、今年の5月に亡くなられた吉田秀和さんの本を持って行きます。

吉田秀和さんは、音楽を中心に評論を出されており、私達日本人のクラシック音楽を楽しむための指標を常に与えて下さった人でした。98歳という長寿を今年まっとうされました。この場を借りてご冥福をお祈りしたいと思います。

今回持って行ったのは吉田秀和さんの「名曲300選」という本でした。この本はグレゴリオ聖歌の時代から、聴くべき時代ごとの傑作を紹介している本です。

読む前は、吉田さんの個人的趣味だけで曲を羅列しているものと思っていたのですが、読みはじめると、音楽史を年代ごと語り、選曲も音楽史を重視したものでした。

その中の序章でこのように書かれています。

「美術は、18世紀19世紀が特に重要というということはない、それまでの歴史の中で積み上げられてきたのだから。しかし、音楽はルネサンスを境として、それ以後、著しい発展を遂げた。そのことを心にとめて16世紀以降の音楽を考える必要がある」と。

確かにそれまでのキリスト教では、3度の和音はその美しすぎる響きが純真に宗教に向かう心を乱すと言う理由で許されていなかったのですが、ルネッサンスを境に使えるようになりました。16世紀の宗教改革も音楽の発展のきっかけになったようです。それからバッハ、ヘンデルのバロック音楽からモーツァルト、ベートーベンの古典派からロマン派へと大きく進歩したのです。

ウィーンの真ん中にあるシュテファン寺院では、まさにその3度の和音が許されないグレゴリオ聖歌を聴き、ムジークフェラインザールでは古典派ベートーベンやロマン派チャイコフスキーの曲にウィーンの響きを楽しんだのでした。吉田秀和さんの言葉を胸に。

飛行機の中でこれを読んだことで、特にウィーンではモーツァルトハウスを訪れたり、王宮にある古楽器博物館でモーツァルトやベートーベンの使った楽器をみようと思うきっかけになりました。

16世紀からの楽器の著しい発展や、ベートーベンやモーツァルトが使ったピアノを博物館で見ながら、歴史に思いを馳せたのでした。一冊の本に導かれ、結果的に18、19世紀の音楽の都を楽しみました。

今回の旅は音楽三昧の旅でもありました。

実はドイツでもシュッツガルトの町の路上で、女子大学生がバッハをバイオリンで弾いていました。

それはいろんな理由からドイツの音でした。ウィーンではシュテファン大聖堂でMessaを聴き、ムジークフェラインザールでは、グローサザールでウィーンフィルの演奏でVladimir Fedosejevの指揮でチャイコフスキーの第4交響曲を聴き、Tanejewの序曲Oresteja Op6とKantate  Op1を聴き、ブラームスザールではKuchl-QuartettでショスターコビッチのNO5 OP92とNO6 OP101を聴き、ベートーベンのStreichquartett OP59/3を聴いたのでした。

また7日の夜にはジャズランドという地下のジャズクラブでクワルテッドを聴き、モーツァルトハウス、ミュージックデアハウス、古楽器博物館にも行きました。

最後に今回の素晴らしい経験について、その本で吉田秀和さんがT.S.エリオット(注参照)の言葉借りて語っている言葉でまとめたいと思います。

T.S.エリオットは「新しい傑作が生まれると、それが過去の傑作の系列に組み込まれ、そのことによって過去の姿全体を変えていく」と言っているとのことです。

この傑作と言う言葉を、「素晴らしい感動の経験」と置き換えると、人は素晴らしい感動を体験すると、その経験を過去の思い出の中に組み込み、その人の過去の姿全体を変え、これから生きていくための新しい指標を提供するものだと思います。

素晴らしい経験をすると、過去がもう一度光り輝いてよみがえり、明日への活力を得ることが出来るのではないでしょうか。

私もこれから今回の旅の経験を過去の思い出の中にしっかり組み込み、もう一度今までの、ひとつひとつの体験の意味を思い返し、読み解いて、私の中の音楽というものを組みたて返して行こうと思います。

今、コンサートホールについて何らかの形でまとめようとしていますが、その道筋のようなものが見えてきたようにも思います。

そんなことをしながら、また音楽と歴史や文化についての長い思索が始まるのです。

長い間お付き合い頂きまして、ありがとうございました。

T.Sエリオット:1888年生まれ。英国で、詩人、劇作家、文芸批評家として活動、代表作には長詩「荒地」を書き、戦後の日本に荒地派という詩人のグループができるきっかけになるなど影響をもたらした。

「荒地」は、「四月は残酷極まる月だ。・  ・・・・・・」で始まる、西脇順三郎の訳詩で有名。